体調を崩して寝込んでいた一週間で
私はどうやら大きなギフトを受け取ったようです。
どんなギフトやねん?ということで
先に結論を書くと
「私って愛されている!」と気付いたことでした。
あまり体を動かせなかったので
じーーーと天井を見ている毎日の
正岡子規な一週間。
普段見えているようで見えていなかった
たくさんのあれこれを発見しました。
まずは、弾けるような生命力の塊である息子たちの
「ママーーー!!」と大声で帰ってくるときに
心の芯が温まるような幸せを感じる
自分を発見したこと。
次に、会社を遅刻&早退し、
家事と育児を一手に引き受けてくれた献身的な主人
から受け取った溢れるほどの愛情。
ほぼ毎日実家から通い、
来るたびに3日分のご飯を作り置きして
いってくれた母のありがたさ。
インターネットで繋がっている
自分をさらけ出しても怖くない
親戚みたいなオンラインサロンの皆様の
心の絆の深さ。
そこに行けば「日常生活」がある
職場の大きすぎる存在と仲間達の重み。
水がじわじわしみてくるように、
こんなにたくさんの方から
私は普段から愛されてきたんだと
知りました。
同時に思ったのが、
私は周りに対して
「どれくらい自分から愛しただろうか?」
「自分から愛情を循環させただろうか?」
ということでした。
・
人は頭の中で考えていたり
心の中で思っているだけでは
相手に伝わることができません。
そこには何かしら行動をともなう
表現が必要になってきます。
結局表現まで落とし込まないと
伝えることはできない。
頭の中で考えているだけでは
一ミリも相手に届かない。
まずは自分から何かしらの形で
愛情を循環する行動が必要で、
自分がまず与えるから
時間差で相手からも受け取ることも
できるんだと思います。
自分が愛されたかったら
愛することからだよね。
そのための大前提として
自分が今ある場所が
恵みに溢れていることに
気付けるかどうか。
自分が愛されていることに
気付けるかどうか、かな。
隣の芝は青くない。
自分の芝のありがたさを知ろうと
するところからすべては始まるんだな、
と気づきましたYO!